あのとき隣の芝生がピッカピカだった話

氷河期世代ど真ん中のくせにロクに就活することもなく、なんとなく滑り込んだ小さなデザイン事務所。初日「これからホームページの仕事とってくるけど、誰もわからないから自分で勉強して覚えて」てな感じのことを言われて即席ウェブデザイナーが誕生したのがたしか1997年。

まだ自社サイトをもつ中小企業が少なかった時代。福岡でWEB制作をやってる制作会社も割と少なかった時代。しらなかっただけかもしれないけど。

それから2000年を過ぎ、競合他社は爆発的に増え、ガラケー対応、ショッピングカートや各種管理システムなど、どんどん複雑&大規模に。

さてこれから、特にシステム系に弱い我々がどうやって生き残っていくか、社員数名のデザイン事務所が勝負できるものはなにか、という話になり、「まずは商品開発→製造→ネット販売→顧客対応→発送」すべての業務を体験して、その中で必要なシステム開発やデザインを行い、実地で学んだことをベースにWEBコンサル的なことを目指そう、という流れに。

じゃぁ何やろうか、と目をつけたのがカレーだった。

不規則で深夜に及ぶ仕事が多かったけど、当時事務所のまかないでカレーをよく作っていた。今とは雲泥の差だけども「作る楽しさ」のベースはその当時からあった。

カレーを商品化して、製造から販売、そしてサイト制作と裏側の管理システムまで自作しよう、それで儲かったらリアル店舗もやれたらいいよねー。という野望。

なんやかやでその計画が本格始動する前に、事務所の向かいにあった喫茶店が空きテナントになり、社長から「どうする?あそこでカレー屋やってみる?」と言われたのが2005年の秋頃だったかなぁ。2004?まぁいいや。

当時ちょうど30歳。成長の早い業界、どんどん出てくる新しい技術、ひとりで習得しながら実践していくことに感じる限界。こんなこと、40歳、50歳すぎてもずっとできる…気がしない…

そんなことを日々思っているときに現れた「カレー屋やってみる?」

隣の芝生が、そりゃぁもうピッカピカで目がくらむほど輝いて見えた。
「楽できる」とは思わなかったけど、この疲弊するレースから開放されるかも、という期待はあったかもしれない。なんだかんだで制作や開発の仕事から完全に開放されることはなく、二足の鉄下駄を履くことになるんだけども。

そんなこんなでオープン日が近づいてきた。ところが、だれも、社員の誰一人として飲食店の経験がない。飲食バイトの経験すらない。あれだけ食べに行ってても、中のことなんてなーーーーーーんも知らない。なんという無謀。

いま、「経験ないんすけど、カレー屋やりたいんすよねー。なんかできる気がしてw」とかいう若者がいたら全力でとめちゃうw

結局、独学で即席ウェブデザイナーになったあの頃と同様、独学で即席カレー屋店主(兼デザイナー)が誕生。お冷の出し方さえ知らない。今考えると恐怖しかないな。

飲食店にツテもないので、とにかく実地でやるしかない。
お店の運営、売上管理、広報、商品開発、マニュアル制作、スタッフ教育、シフト管理などなど、当たり前なんだけど、これらをゼロから構築していった。その経験が結果的に独立するときに役に立っている。

当時私は、専門学校と大学で非常勤講師もやっており、学校、店、事務所を行ったり来たり。いない間はもう一人の社員とバイトスタッフで回す、という感じだった。ところが社員が怪我のため戦線離脱。授業に穴も開けられないため、私が不在の間だけ店休日とするスタイルにせざるをえなくなった。

さすがにこんな不規則営業やってたらまずい。せめて、今日は営業日とか、完売したとか、すぐに告知できるツールがなにか必要だな。というときに目についたのがTwitterだった。アカウント見たら2009年9月か。

まだ福岡ではTwitterをやっているお店が珍しかった頃。ただの告知ツールとして始めただけだったけど、結果的に非常にたくさんの人と繋がることができた。昔語りをし始めたら「ジジイだなぁ」と思うけど、あの頃の繋がり方は今とは比べ物にならないくらい濃かった。いまの私のベースが出来上がったのもこの頃だったと思う。

そんなこんなで独立して今に至るわけですが、そんなお店がどうやら立ち退きで閉めるらしい、という噂を聞いたのが1年くらい前。そしてとうとう月末で閉店のアナウンスがあったとのこと。

悲しいとか感傷的な思いはないけれど、今の私があるきっかけになった重要なお店なので、「本当にお疲れ様でした。ありがとう」と思います。

一番古い画像はなにがあったかなーと探したらこれが出てきました。

自分でデザインしたロゴ。懐かしい。

「ドゥニヤ」とはヒンズー語で「世界」。世界各地にカレーがあって、その土地々々の文化と混じり合って独自の食文化になっている。だからこのお店も、特定の国や地域にとらわれず、自由に組み合わせて独自の世界を作っていこう、みたいなコンセプトだった。みんなで屋号を決めたあとに私が考えたんだけどw

その考え方自体は、今のマサラキッチンの基本コンセプトにつながっています。

本当におつかれさまでした。ありがとう。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする